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日々想々彼是落書致候


by fly_bird_man
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今日の谷崎潤一郎 パニック障害

 文豪・谷崎潤一郎がパニック障害を患っていたことは結構知られているらしく、
 初期の作品、例えば学生時代の自身を偽悪的に綴った自伝的小説「異端者の悲しみ」の中にはこのように書かれている。

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 「己はいつ死ぬか分からない。いつ何時、頓死するか分からない。」
 そう考えると章三郎は、立っても居ても溜らないほど恐ろしい折があった。死に対する恐怖から彼はあらゆる急激な病気に対して過敏になった。脳充血、脳溢血、心臓麻痺、……それらの禍(わざわい)が、今にも自分の身に振りかかって、一瞬間に五体が痺れてしまいそうな心地のする事が、日に五六度も彼に起った。往来を歩いて居ると不意に胸が痛くなって、夢中で五六町駈け出したり、電車の中でカッと頭が上気して、あたふたと表へ飛び降りたり、夜中に蒲団を撥ね返して、梯子段を転げるように馳せ降りて、水道の水を顔にぶっかけたり、恐怖は殆んど章三郎を発狂させねば置かない程に興奮させた。彼は真っ青になって頭と胸とを抱えながら、一と晩中ぶるぶる顫(ふる)えて居ることがあった。そうして朝の日光を見てから、始めて安心したように昼近くまでぐっすりと睡(ねむ)った。

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 このようにパニック発作のときに起る身体の変化と、そこから来る心理的恐怖(発作時の恐怖感と、いつまた発作が来るかわからないといった不安)の描写が仔細に描かれている。
 小説の主人公、章三郎(つまり谷崎自身)はアルコールでこの発作・恐怖を紛らわそうとするが、やはり中々うまくいかなかったらしい。
 その他、いくつかの短編でこのことを題材にしている。
 当時は今のような診断や治療方法は確立していなかったと思われるが、谷崎自身による自己治療法の一つが、開き直ってこのような自分自身の心身の状況と正面から向き合い、作品として書き上げることだったのではないかと察せられる。
 さて、この短編は、病で臥せていた妹の死の描写を経て、最後このように終わる

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 それから二た月程過ぎて、章三郎は或る短編の創作を文壇に発表した。彼の書く物は、当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た。それは彼の頭に醗酵する怪しい悪夢を題材にした、甘美にして芳烈なる芸術であった。

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 自分の身体上の弱点や精神的な弱さ、狡さ、怠惰、野心、性癖その他諸々を飲み込んで、その先に開けたのは自信と「芸術」という誇り。作家・谷崎潤一郎宣言だった。
by fly_bird_man | 2008-02-07 20:02