2011年のお盆 ~宮古市にて~
2011年 08月 15日
今年のお盆は3人の子供たちを連れて、何年かぶりに父の実家の宮古市で過ごした。一度6月にボランティアのために一人で来ていた自分は今年2回目となる。
13日の昼間に青森を立ち、15日の夕方に帰宅。
宮古の家には従妹が千葉から二人の小さな男の子を連れて先に帰省していた。滞在中には2年生になる自分とこの3番目と3人とで一緒に水浴びや花火をして遊んでいた。昔、自分と従姉弟たちが同じようにして遊んだように。
上の二人の子も、久しぶりの宮古で色々お手伝いしたり、誰に似たのか夏休みの宿題を持ってきて真面目に勉強したり、小さい子の面倒を見たりしながら過ごしていた
街は6月に一度来た時と比べて修繕が進んでいる所もあれば、まったく手付かずのところもある。商店街でも新たに解体された建物と、修理・再開した店とがいくらかあったが、全体的には、あまり進んでいるようには見えなかった。従妹の住む千葉の浦安を含む関東まで影響が及ぶほどの地震・津波の規模の大きさを考えると、これも仕方のないことなのだろうか。
14日には海上花火大会があって、私の子供たちと従妹夫婦とその子供たちと宮古大橋から眺めた。静かな川面に色とりどりの花火の影が写り、とても綺麗な花火だった。
お盆が来くると、親戚が集まり、お寺に行き、お墓参りに行く。夜は庭先で松を燃やし、子供たちは花火をして楽しむ。大人たちはビールを飲みながら話は尽きない。
昔よく見たお盆の光景が、今年も変わりなく繰り返されているように見える。ということ自体が、いわゆる復興というものの一つなのかな。。と思うが、それは家が残り、街がまだいくらかでも残り、親族で亡くなった方が幸運にもいなかったからそう感じるのだろう。
3日目、午前中、子供たちを連れて大きな被害を受けた市内の地域(閉伊川河口~浄土ヶ浜~鍬ケ崎)を短時間だが実際に見て回ってから帰ってきた。浄土ヶ浜の観光はすでに一部再起動し始めていて、遊覧船や遊覧バスもやっていた。石浜もいくらか修理されていたようだ。
まだまだ時間がかかるのだろうが、少しずつ少しずつ、きっと良くなる。そうであって欲しい。
帰りの車の中で子供たちのよく寝ること。お疲れ様。
子供たちにとっては、どんなお盆の体験になったかな。
13日の昼間に青森を立ち、15日の夕方に帰宅。
宮古の家には従妹が千葉から二人の小さな男の子を連れて先に帰省していた。滞在中には2年生になる自分とこの3番目と3人とで一緒に水浴びや花火をして遊んでいた。昔、自分と従姉弟たちが同じようにして遊んだように。
上の二人の子も、久しぶりの宮古で色々お手伝いしたり、誰に似たのか夏休みの宿題を持ってきて真面目に勉強したり、小さい子の面倒を見たりしながら過ごしていた
街は6月に一度来た時と比べて修繕が進んでいる所もあれば、まったく手付かずのところもある。商店街でも新たに解体された建物と、修理・再開した店とがいくらかあったが、全体的には、あまり進んでいるようには見えなかった。従妹の住む千葉の浦安を含む関東まで影響が及ぶほどの地震・津波の規模の大きさを考えると、これも仕方のないことなのだろうか。
14日には海上花火大会があって、私の子供たちと従妹夫婦とその子供たちと宮古大橋から眺めた。静かな川面に色とりどりの花火の影が写り、とても綺麗な花火だった。
お盆が来くると、親戚が集まり、お寺に行き、お墓参りに行く。夜は庭先で松を燃やし、子供たちは花火をして楽しむ。大人たちはビールを飲みながら話は尽きない。
昔よく見たお盆の光景が、今年も変わりなく繰り返されているように見える。ということ自体が、いわゆる復興というものの一つなのかな。。と思うが、それは家が残り、街がまだいくらかでも残り、親族で亡くなった方が幸運にもいなかったからそう感じるのだろう。
3日目、午前中、子供たちを連れて大きな被害を受けた市内の地域(閉伊川河口~浄土ヶ浜~鍬ケ崎)を短時間だが実際に見て回ってから帰ってきた。浄土ヶ浜の観光はすでに一部再起動し始めていて、遊覧船や遊覧バスもやっていた。石浜もいくらか修理されていたようだ。
まだまだ時間がかかるのだろうが、少しずつ少しずつ、きっと良くなる。そうであって欲しい。
帰りの車の中で子供たちのよく寝ること。お疲れ様。
子供たちにとっては、どんなお盆の体験になったかな。
by fly_bird_man
| 2011-08-15 21:52
| nikki