|
最近はもっぱら実名登録のFacebookと、
ランニング練習記録帳がわりとして機能が充実しているJogNoteばかりを使っているので、 こちらの匿名自由帳ブログは、最近とんとご無沙汰になっている。 前からの投稿分も昔の日記帳みたいなものでとりあえずとっておきたいし、 かと言ってFacebookへの引越しというのは、引越し方法や実名と匿名の違いもあるので、おいそれと出来そうにない。 というわけで、この微妙な状態のNIKKIrakugakiの用途について改めて考えないと。 ひさしぶりなので、最近の出来事を
息子の中学の卒業式があった。直後に息子、入院。一週間程度で退院。 原因は、傷口から入ったバイ菌による敗血症の一種。傷をつけた原因が、、、脚に出来た魚の目を「コンパスの針」でほじくって取ろうとした。ことによる。。 いろーーんな意味で将来有望or残念な息子さんです。 高校はとりあえず合格するも、本人の資質と方向性とが若干ズレているような気もしないでもなく。 先の入院騒動と合わせて、これから吉と出るか凶と出るかは、彼次第。 3月から今シーズンのランニング始動。まずは八戸のうみねこマラソン大会(5月)へ向けて。 7月始めには青森でもマラソン大会があるので、こっちに一緒に参加しようと、こども達にも声をかける。縄跳びが得意な長女はやる気があるようで、とりあえず、ランニングシューズを選んで購入してみた。 小3になる次女とは、休日一緒に雪がまだ残る公園でノルディックスキーをして遊んだり、春から卓球をやってみたいというので、お姉ちゃんのお下がりを借りて、市民体育館に行って手ほどきをしてみたり。 自分のことは、と・・・ 4月から職場が異動になる。出世はしないが異動は多い。 歓送迎会の類が続くが、正直、飽きた。自分の趣味の時間も持って行かれるのには、うんざり。無駄に出費もかさむし。酒も肴も嫌いではないけれど、度の過ぎる日本の会社ノミニケーションは、身体的にも精神的にも毒。 ランニングの続き。 なんやかやと今月150km走ったが、体重は軽くならず、かえって筋肉がついた分、重くなっているかも。 特にお尻回りとハムストリングスが明らかに太くなっている。 3月は街中雪上トレイルランを楽しんだが、路面の雪もすっかり解けた4月はアスファルト道が使えるが、公園の芝生や土はまだ深い雪に覆われている。固いアスファルトを走りすぎて、また膝を壊すといけないので、自転車も使ったクロストレーニングを始めよう。 今日から家に、例の二人組(中2長女と小2次女)が来ている。
毎年恒例のバレンタイデーに向けてせっせとチョコを作りに励むのです。 今年は、私も次女のチョコ作りに参加。。??もしやこれは、自分の分を自分で作っているってことになるのではないだろうか?という疑問が瞬間、脳裏を過るものの、 アマリ 気ニシナイ。 適当なところで飽きてしまって、私や長女にたくしてプイと遊びにいってしまう次女と違い、長女のは年々、本格的になってきていて、今年はついに一日で作業が終わらず、明日も朝から二回戦。 ガンバッテクダサイ。 今日は長女の14才の誕生日。
今日は月曜日なので、昨日から一昨日と土日にかけて次女と二人そろって家に遊びに来ていた。お昼ごはんや晩御飯に、ラーメンやオムレツ、ナポリタンスパゲッティなどの、手作り料理を振舞って「もらう」。 本当はこの自分が、(実際は大したことはないが、それなりに心だけは込めて)腕を振るう積りだったのだが、いざ食事の準備の段になると、私よりも先に長女が当たり前のような顔をしてキッチンに立つので、「それではどうぞ」と、予定を変更して、こちらはアシスタント役に回りつつ~の、一緒についてきた料理をきちんと手伝うにはまだちょっと早い、それよりもパソコンゲームや絵本のほうに夢中な次女の遊び相手をし~の、ということに。 長女は、どのメニューも材料のカットから炒めたり焼いたり味付けしたりと、実にぱっぱと手際よくこなし、完成品も実にしっかりとした出来栄えで、火はきちんと通っているし、味におかしなところもない。プロのシェフ並みとまでは言わないまでも、少なくとも食堂で提供できそうなぐらい。 もう、すっかり安心してお料理全般を任せられますね。というか、むしろこちらが色々教えを請いたいくらい。月に2,3度程度しか一緒に過ごすことしかできないけれど、いつの間に娘はすくすく育っているようで…ふむふむ。 父からの誕生日プレゼントはというと、彼女のネーム入りのオレンジ色のiPod-nanoと、 急遽、手袋と帽子を追加で、近くのスポーツショップで購入。 早速、日曜日には家から自分のCDを持ってきて、このパソコンを使って、お気に入りの曲、レミオロメンとかGreeNなんかを次々ダビングしていた。アイドル系よりは、ちゃんとしたバンドものが好きらしい。音楽の趣味も、さすが「しっかり者」といった感じ。
最近、ダイニングもとい食堂にノートパソコンを持ってきて、ラジオをかけながら
パソコンでインターネットサーフィンしたり、ゲームしたり、読書したり、そんな風に過ごすことが多い。 ラジオの良いところは、テレビのように映像が押し付けがましくなく、聞き流すことが出来ること。CDと違って、何が聞こえてくるか予測出来ないところ、初めて聞く話や歌や音楽には飽きずに興味を惹かれること。かな 五鉄兼八のおばちゃんが晩年、客の来ない店でラジオを聴きながら読書したり、猫と戯れたり、一句ひねったりしながら一人で過ごしていたことを思い出す。 一人で夜を過ごすときも、ラジオがあれば寂しいという気持ちがあまり沸かない。あったかい気持ちにすらなれる。人の声、歌声だけじゃなく話し声というのは、それを聞いているだけでも、なんとなく気が紛れて、精神的に落ち着くものなんだな。 今は、NHK-FMをかけているが、どうやら日本に返還されるときの沖縄特集だそうで、微妙に古さを感じさせる沖縄の一度も聞いたことがないけど懐かしさを感じる大衆歌が流れていて面白い。 民放のFM青森は、この夜の時間帯は、若い世代を対象にしているせいか、なんとなく耳に痛い。 NHK-FMのほどよく緩く、かと言って聞き飽きた感の少ない、ちょいとマニアックなプログラムは好きだな。時々、「一日まるまるなんとか三昧」という、非常にオタク度の濃い~番組もあり、先日は丸一日「プロ野球ソング特集」で、そこで聞いた数々の応援歌や珍曲の中からお送りしましょう 六甲おろし by オマリー ※オマリーは90年代に阪神タイガース~ヤクルトスワローズで活躍した助っ人外人選手 …ノーコメント… とまあ、そんなわけで(気を取り直し) 南国沖縄の歌が流れる中、雪の夜は更けていく。 昨日、具合が悪い勢いで、勢いがないまま書いた記事を手直ししていて、ふと思いだしたのが
とん平のヘイ・ユー・ブルース by 左とん平 ゆらゆら帝国「空洞です」~坂本慎太郎「幻とのつきあい方」の音像の源は、ああ巨匠・左とん平氏であったか…。という訳では勿論ないんだろうけど。 サウンドプロディースはミッキー・カーチス氏、アレンジは深町純氏となっている。ソウルフルでセクシーで、本物の昭和歌謡ムードたっぷりの音作り。 世の中はすり鉢で 人生はすりこぎだ そう嘆き、叫ぶとん平のボーカルは、悲しくも可笑しい。いや、まじで。 この歌を俳優が片手間にやった、ちょっとしたジョークだと受け止める向きもあるかもしれないが、悪いが自称・歌手の歌でこのボーカル以上にソウルフルなものを聴くことは、日本の歌謡界の中を探しても中々難しいかもしれない。 だってブルースの女王・淡谷のり子先生は言ってたよ。皆、歌手じゃなくてカスだって。 多分、とん平氏は本当にすりこぎなのかも知れない。少なくともこのボーカル表現は、すりこぎじゃなければ出来ないものだ。 もう一つの名曲も一緒に 東京っていい街だな by 左とん平 とん平の語りも良い。ここは流石、役者だな。 目をつぶって聞いていれば、その情景が見えるようです。 青森っていい街だな … 冬の雪はハ~たんだねーけど 昨日、2012年の何度目かの何だかの新年会で
寿司屋で酒と肴(魚?)をたらふくいただき 2次会のスナック、3軒目はラーメン屋で 最後は行きつけの店で3時過ぎ居眠りこくまでいた。 だから今日は、朝からあんまり何かやる気がなくて そんなこんなしてたら夜になってた 今から 一人で 何かを しようとしている 君はそう決めた by 坂本慎太郎 元ロックバンドゆらゆら帝国のフロントマン、巨匠・坂本慎太郎氏による初ソロ作品 「幻とのつきあい方」収録作品。 この緩いPVアニメーションも彼の作品(iPadで一人でシコシコ作成とのこと) 今日目覚めて 君はそう決めた 突然に さらっと、でも重たい。そっと、でも力強い言葉遣い。 あんまり希望とか明るい未来とか永遠の未来みたいなもの、有り体に言えば、そういったものが「ない」ことを知りつつも、何かを諦めつつ、何か諦めがつかずに毎日をなんとか、なんとなく生きている人のそばに寄り添い、背中をそっと押し出してくれる。ような 昭和歌謡なAORなニュー・ソウルな、どことなく『とん平のヘイユーブルース』とも似た大人な音の連なりもまた、なんと言えぬ心地よさ。 今日も一日がんばるか。ア~ンど、おつかれ様な、肩・腰もみほぐしソング。 そういう歌が歌えるような、そんな大人に私もなりたい。 風呂入って寝よ 大晦日の今日は両親の家に来ています。
両親は二人揃って風邪気味のご様子。お大事に 日本的には東日本大震災と福島第一原発事故があり、明るい将来を描きずらい時代。 個人的にも 色々な出会い・別れ・再会もあったりした2011年も今日で最後です。 奇跡 by くるり より 退屈な毎日も 当然のように過ぎていく 気付かないような 隙間に咲いた花 来年も逢いましょう 明日になればまたいつもの朝が来て、2012年が始まります。 ではまた来年
今日は有給休暇。
何か休暇らしいことをしようと思い、たまたまFMラジオで映画の宣伝をしていたのが聞こえたので、内容やタイトルすら確認しないままに、とりあえず携帯から上映開始の時間だけを確認して、新町商店街のシネマディクトに雪の中、車を走らせた。 シネマディクトに到着。ええっとタイトルは 「人生、ここにあり!」 原題は"si puo fare" どうやらイタリア映画らしい 時間がぎりぎりだったので掲示されてるポスターすらきちんと見ず、事前情報白紙のままで席に着く。 平日の午後で自分より他に客は…一人。ほぼ貸切状態。 … ネタバレしちゃうので、細かいストーリーは省略(下の映画HPを参照のこと) 1980年代にイタリアで先進的に進められてた閉鎖型の従来の精神病院の開放と、地域主体の医療と福祉への転換政策の中での、とある協同組合型作業所(?)での取り組みを描いた悲喜こもごものヒューマンドラマ。 せっかくの休暇だというのに、、大いに普段の仕事と被っているし(笑)どこまでオイラは仕事熱心なんだか というのも今、私が働いているのは、精神科病院の門前薬局だったりするわけで… まさに、普段、薬局にやってくるような見慣れた人たちと良く似た人たちがスクリーンの向こうにいるわけで… 仕事柄イタリアでの取り組みというのは、ある程度、知識としては知っていたけれども、その実情まではあまり知らないわけで… しかし映画はあくまで映画であって、「勉強になりました」とか軽口を叩く気はないわけで… というか、なんというか 見終わった後ふと、「あの人だったら、どう観るんだろう?」と、そう思った。 映画のHPはこちら http://jinsei-koko.com/
3・11震災で福島第一原発の爆発が起きてから、まだ大規模な節電やガソリン不足が続いていた最中に、自分はこれからこの身近な世界がどうなっていくのか、そのヒントを知りたくて、図書館に通ってチェルノブイリ関連のドキュメントレポート本を何冊か読んだ。あるいは、ネット動画でドキュメンタリー番組を見たりもした。
そこで分かったことの一つは、彼の地では、事故った原発から直接溢れ出した放射能による外部被曝の他に、それによって汚染された農産物を食品として取り込むことによる内部被曝が、特に「流通」を通じて大規模に広がっていったということ。 例えば乳製品。汚染度が高くて牛乳としては売れないものでも、チーズに加工して流通させたり、高濃度に汚染された食品を、汚染されていない他の食品に混ぜることでごまかしたりしながら。または、ベラルーシやウクライナなどのチェルノブイリの近隣地域では厳しい検査で引っかかるために、検査体制の緩いモスクワなど遠くに持って行って産地偽装して売るとか、そういうことが行われていたという。 今、日本でも全く同様のことが起きている。まるで鏡で写したかのように予想通りの展開になっているのは、驚くような呆れるような、人間の業の深さに観念するしかないような。 さて、これからどうなっていくのか、どうして行ったらいいのかということについて、個人的な考えを書いてみる。 現在、ウクライナやベラルーシの市場に行くと、市民が気軽に使える放射能測定所があって、誰でも市場で買ったものをそこに持っていけば、放射能を測定して、結果を教えてくれるようになっている。 日本でも福島などでは民間や自治体による放射能測定所が立ち上げられたりしているが、ベラルーシやウクライナの面積はすっぽり日本列島を覆うくらいの大きさであるから、日本では福島や関東圏だけでなく、北は北海道、南は沖縄まで全国津々浦々、それこそスーパーや郵便局の数だけの放射能測定所を設置することが必要だろう。 設置/運営/測定にかかる費用は当然すべて電気事業連合会が負担することになる。 最近、青森でも近所のスーパーで「当グループでは放射能ゼロを目標に検査体制を整備していきます」などという立て看板が立つようになった。今、目の前にあるこの食べ物について知りたいのが消費者の正直な気持ち。 とっくに産地表示などあてにならないし(それでも一応はそれを充てにするより手段がない)、外食産業で出されるものなどは特に疑わしい。疑えばきりがない。 風評も何も、目の前の現実が「わからない」から不安になるのであって、誰でも気になったらすぐに現物を実際に測定して実際の汚染の度合いを「知る」こと以外に不安を解消する糸口はないだろう。 さて、そこで正確な放射能の値が分かったとして、買うか買わないか自己判断をすることになるのだが、正直なところ、スーパーに掲示してあった「放射能ゼロ」というのはもうこの国に生きていく以上はありえないだろうと、夢物語だろうと思う。それは所謂「被災地支援」とは真逆のことにもなりかねない。 自分の判断基準は、少なくとも自分はここで普通に生活する限り、たった今大量の外部被曝の危険性はずうっと低いので、米と水など毎日必ず摂っているもの以外は、ある程度の内部被曝を許容する。ということになる。 とある統計調査では、「気にする」健康オタクのグループと「気にしない」健康好き勝手放題グループとでは、後者のほうが寿命が長かったという。いかに「のびのびとした精神的余裕・自由」が健康に生きることにとって欠かせないか、ということも覚えておく必要がある。 ひとつのシンプルなラインを設定したらあとは「あんまり気にしない」のが良い。 3・11以降(実際はその大分以前から)、日本という国で生きるというために欠かせないことの一つに、一人ひとりが放射能とその汚染という現実とどうやって向き合うかということ。が付け加えられたんだと思う。 FlyingDutchmanの主張に全面賛成する気はないけれど、現実に「向き合う」こと。 ポジティブで行きたい。
|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
|